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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)6308号 判決

原告

浦野松子

右訴訟代理人

池谷昇

稲村建一

被告

第一火災海上保険相互会社

右代表者

金子三郎

右訴訟代理人

藤井正博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一〇八四万円及びこれに対する昭和五五年一月二七日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文一、二項と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

訴外浦野正隆(以下訴外正隆という。)は、昭和五二年九月一二日、その妻である原告が仕事のため横浜に行くと称して家を出たため、これを連れ戻すべく、その跡を追つて自己所有の乗用自動車(群五も三七一、以下本件自動車という。)の助手席に同人らの長女である訴外浦野瑞恵(当時満三歳、以下亡瑞恵という。)を乗せ、右自動車を運転して、肩書住所から約八キロメートル離れた国鉄高崎駅前の高崎市八島町二二二番地所在の株式会社駅レンタカー上信高原高崎営業所駐車場に至り、同日午前九時二六分ころ同所に本件自動車を停止させ、同所で追いついた原告に対し仕事に赴くことを思いとどまるよう強く説得したが、原告がこれを振り切つて国鉄高崎駅構内に向かつたため、同日午前九時三〇分ころ訴外瑞恵を右自動車内に放置したまま、さらに原告の跡を追つて国鉄高崎駅待合室に向かつたところ、同所に原告の姿が見当たらなかつたことから、同駅プラットフォームに出て、折から停車中の上り特急列車に乗車して大宮駅まで赴き、同駅で列車を乗り継いで横浜市まで赴いたものであるところ、同日の高崎市の気象状態は快晴で、炎天であつたため、そのもとにさらされていた本件自動車の車内温度がその間に急激に上昇し、その結果亡瑞恵は熱射病により同日午前一一時三〇分ころ死亡するに至つた。

2  責任

(一) 被告は、訴外早部与一との間で、本件自動車につき、保険期間を昭和五一年五月一六日から昭和五三年五月一六日までとする自動車損害賠償責任保険契約を締結した。

(二) 訴外正隆は、昭和五一年一二月三〇日本件自動車を前所有者である訴外トヨタオー卜群馬株式会社から買い受けて自己の自家用自動車として日常の用に供して利用していたものであるから保有者であり、同人は前記のとおり本件自動車の運行により亡瑞恵を死に至らしめたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下単に自賠法という。)三条にもとづき右事故による後記損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

(三) ところで、亡瑞恵の相続人は父母である訴外正隆と原告であるところ、昭和五三年一〇月ころ、右両名は協議のうえ、亡瑞恵の遺産は全部原告が取得することの合意が成立した。

(四) そこで、原告は昭和五三年一一月一五日、被告に対し、自賠法一六条にもとづき、損害賠償額の支払を求めたところ、被告は亡瑞恵の死亡が本件自動車の「運行によつて」生じたものではないとして、その支払を拒否した。

しかしながら、右事故は本件自動車の「運行によつて」生じたものである。すなわち

(1) 「運行」とは、自賠法二条によると、人又は物を運送するとしないとにかかわらず、自動車を当該装置の用い方に従い用いることとされており、右「当該装置」とは、自賠法の趣旨、性格、自動車が本質的に有している危険性等からして当該自動車に必要な全装置を意味し、従つて「運行」とは当該運送目的を達成するまで、もしくは達成不能までの間すなわち車庫から車庫までの使用状態をいい、その間の駐停車の状態も当然に含むと解すべきである。しかも本件においては車内に亡瑞恵がなお乗せられたままの状態にあつたのであるから、いまだその用い方に従つて用いられていた状態すなわち運行中であつたとみるべきである。

仮に、右主張が理由がないとしても、自動車の「ドア」は、自動車固有の装置で、自賠法二条にいう当該装置に含まれ、右ドアを閉じて車内を密閉化する行為は、走行に必要不可欠な行為として「運行」に当るものと解すべきである。

また、炎天下に密閉した自動車を駐車させておくと、極めて短時間に車内の温度が急上昇して車内に放置された幼児等が死亡するに至ることは通常生ずることであるから、ドアの閉鎖そして駐車と車内の者の死亡との間には因果関係につき相当因果関係の存在が必要であるとの立場を採つたとしても、因果関係があるものということができる。

本件事故は、前記のとおり訴外正隆が亡瑞恵を同乗させて自宅から高崎駅前の駐車場まで至り、同所にドアを閉じて駐車させている間に自力で脱出不可能な亡瑞恵が熱死したものであるから、右死亡は本件自動車の「運行によつて」生じたものというべきである。

従つて、被告は原告に対し、本件事故にもとづく損害賠償額の支払義務がある。

3  損害〈省略〉

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、(一)の事実及び(四)の被告に対し請求のあつた事実は認めるが、(二)、(三)の事実は不知、(四)のその余の主張は争う。

本件事故は、当日訴外正隆が本件自動車を午前九時二六分ころから、亡瑞恵の死亡が発見された同日午後一時一五分までの約四時間弱、原告主張の駐車場に駐車させていた間に発生したもので、その間運転者である訴外正隆は横浜市まで赴き、本件自動車の運行は全く中止されたまま放置されていたのであるから、事故当時本件自動車は運行状態にはなかつたものである。

また、「運行によつて」とは運行と事故との間に物理的な有形力作用の状態のあることを要するものであるところ、本件事故は太陽熱による自動車内の温度の異常上昇によるものであり、仮にドアの閉鎖が運行に当るとしても、亡瑞恵の死亡との間に物理的有形力作用の状態はなかつたのであるから、「運行によつて」生じたものということはできない。

3  同3の事実は知らない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件事故当日、訴外正隆が本件自動車に亡瑞恵を乗せて、自宅から約八キロメートル離れた国鉄高崎駅前の原告主張の駐車場に至り、同駐車場に車を駐め、ドアを閉じた車内に亡瑞恵を置いたまま、同日午前九時二六分ころから原告の跡を追つて横浜市まで赴いている間に炎天のため本件自動車の車内温度が急激に上昇し、そのため亡瑞恵が熱射病によつて同日午前一一時三〇分ころ死亡するに至つたものであることは当事者間に争いがない。

二そこで、右事故が本件自動車の「運行によつて」生じたものであるか否かの点について判断する。

自賠法によると、同法にいう「運行」とは、「人又は物を運送するとしないとにかかわらず、自動車を当該装置の用い方に従い用いることをいう」とされており(同法二条二項)、右「当該装置」については、本来同法が高速で走行する自動車が本質的に有している危険性から他人の生命又は身体を保護することを目的として制定されたものである(同法一条)ことからして、当該自動車に固有の装置をいうのであつて、当該自動車に必要な全装置を意味するものではないと解するのが相当であり、しかも「運行」といい得るためには右固有装置が現に用法に従つて用いられていることが必要で、それらが全く用いられていない完全な駐車状態の如きは自賠法にいう「運行」に当らないと解せざるを得ない。

本件においては、前記当事者間に争いない事実によれば、訴外正隆は本件自動車を駐車場内に駐め、自らは降車して列車で他所に赴き、長時間にわたつて本件自動車を駐車状態のまま置いていたというのであるから、少くとも訴外正隆が降車して列車に乗車した時以後は本件自動車はもはや「運行」状態にはなかつたものといわざるを得ない。

原告は、訴外正隆が本件自動車から離れた後も亡瑞恵が依然車内に乗せられたままの状態にあつたから、なお運行は継続しているとみるべきであると主張するが、前記争いのない事実関係からすると、訴外正隆は本件自動車を亡瑞恵の居場所として本件自動車の空間的場所をたまたま利用したにすぎないものとみざるを得ず、右のような利用方法は自賠法にいう「その用い方に従つて用いる」ことには当らないものというべきである。

また、原告は本件自動車のドアを閉じて密閉化する行為は「運行」に当ると主張する。確かにドアを閉じるその行為自体は「運行」状態の中の一動作として「運行」に含まれることは否めないが、前記判示のとおり、本件においては訴外正隆において本件自動車から降車してドアを閉じたその後に一応「運行」状態は終了したとみるべきであるから、その後においてはドアを閉じる行為の運行性を問題にする余地はないものといわざるを得ない。

のみならず、仮にドアを閉じた後も「運行」状態は継続しており、あとは事故との間の因果関係の問題であると解しても、もともと運行と事故との間に相当因果関係の存在することが必要と解すべきところ、本件において亡瑞恵の死亡は前記争いのない事実から明らかなように長時間の車内放置にもとづく熱射病によるもので、本件自動車のドアを閉じて密閉化した行為が死亡に至る原因の一部を成していると考えられないではないが、右のような事実関係のもとにおいては、右ドアを閉じた行為と亡瑞恵の死亡との間には相当因果関係がないものというべきである。

三以上要するに、本件亡瑞恵の死亡が本件自動車の「運行によつて」生じたものとみることはできないから、訴外正隆の自賠法三条にもとづく責任は成立せず、従つて同法一六条にもとづく被害者の損害賠償額の支払請求権も発生しないものといわざるを得ない。

四そうすると本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(小川昭二郎 田中優 富田善範)

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